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AGS・JH22は、AGSチームがのF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。デザイナーはクリスチャン・バンダープレイン。前身のJH21Cの発展型であるが、自然吸気エンジンを搭載した。AGSはJH22で初の選手権ポイントを獲得した。 ==開発の背景== 1987年シーズンからチームは念願のフル参戦を果たす。JH22はそれまでのAGSの車両同様クリスチャン・バンダープレインが設計し、JH21Cの改良型であった。エンジンを除いてJH22はJH21Cとほぼ同一であった。モノコックは同じ物を使用し、サスペンションやブレーキも同一であったが、いずれも4年前のルノーの技術をベースとしていた〔Hodges: ''Rennwagen von A–Z nach 1945.'' 1994, S. 9.〕。外装はサイドポッドが低い物に改められた〔''Motorsport aktuell.'' Heft 13, 1987, S. 3.〕。バンダープレインはシーズン途中で何回かエンジンカバーのデザインを変更した。当初は長方形のエアボックスをエンジンカバー上のスタンドに設置したが〔Figure of an early AGS JH22 the Grand Prix of Monaco 1987. 〕、その後これらの時代遅れに見えるデザイン〔In Form und Dimension erinnerte der Lufteinlass an den Amon AF101 von Chris Amon Racing.〕は、エンジンの全幅にわたって延長され低い箱状のエアボックスに置き換えられている。 JH21Cはモトーリ・モデルニ製のターボエンジンを搭載、ピレリタイヤを装着したが、JH22は自然吸気エンジンのコスワース DFZを搭載し、グッドイヤータイヤを装着した。このエンジンはスイスのハイニ・マーダーがチューンした〔Ménard: ''La Grande Encyclopédie de la Formule 1.'' 2000, S. 103.〕。 JH22は1987年のマシン中最も遅い車だったが、平均以上の信頼性を示した。 前年同様AGSは1台体制でシーズンに臨み、シーズン中に2台のJH22を製作した。1台目は前年のJH21C(シャシーナンバー031)と同一であった。このJH21Cは自然吸気エンジンを搭載できるよう改造され、新たなシャシーナンバー032が与えられた。パスカル・ファブルはこのシャシーをオーストリアで激しく破損し、シーズン残りで使用できなくなった。このシャシーは後に修理され、フランス、イル=エ=ヴィレーヌ県ロエアックのマノワール・ドゥ・ロトモビル に展示されている〔この車両は2005年にイタリアで初めて公開され、JH21Dと表示された。AGSはJH21Dという車両は製作しておらず、誤った名前で説明されていた。2009年以降は正しくJH21Cと説明されている。〕。 1987年の夏に2台目(シャシーナンバー033)が完成した。これは元々はセカンドドライバー用の物だった。ファブルが1台目を破損した後、イタリアグランプリからこの2台目を使用した。この2台目は1989年にMGNのW12エンジンを搭載して再製作された。解体された後、この車体はロエアックで保管されている。 メキシコの靴・衣料品会社エル・チャーロが前年に引き続いてメインスポンサーとなり、車体は白で塗装されノーズコーンに大きなバラが描かれた。ドライバーはイヴァン・カペリがレイトンハウス・マーチに移籍、代わって1982年のヨーロッパF2選手権に参戦していたフランス人ドライバーのパスカル・ファブルが起用された。 この年は自然吸気エンジン採用チームを対象としたコーリン・チャップマン・トロフィーが実施され、AGSは通常のコンストラクターズ・タイトルに加えてティレル 、マーチ、ラルースとこのタイトルを争った。また、ドライバーのファブルはジム・クラーク・トロフィーを争った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「AGS・JH22」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 AGS JH22 」があります。 スポンサード リンク
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